タロウ やりたいことが見つからないから、仕事が決められないという人がいますが、これについて説明して下さい。
先生 やりたい事が見つからないというのは、大雑把にいえばこうです。それは、楽をしてできる、やりたい事が見つからないということです。
初めから楽な仕事がどこかにあるのでしょうか。少なくとも私は聞いたことがありません。となれば、見つかるはずがない仕事を探していることになります。
ですから、見つからないのは当然のことなのです。
タロウ なぜ、楽をしようとするのでしょうか?
先生 それは、それまでの人生でやりたい事をやるよりも、不快回避を優先してきたためです。不快回避は一時的に楽をすることでもあります。
ですから、楽をすることを優先しようとするのです。いわば、慣性の法則にしたがっているようなものです。
タロウ 具体例をお願いします。
先生 例えば、Aさんは建築家になりたいと思っていました。だが、自動車修理工場を経営している父親から、それを継ぎなさいと言われ、継ぐ事にしました。
なぜ、そうしたのかといえば、父親に逆らったら不快が増大しそうだからです。ということでAさんは、やりたい事よりも、不快回避を優先したということになります。
タロウ 一時的に楽をするというのはどういうことですか?
先生 それは、Aさんの例でいえば、父親と対決する不快は避けられましたが、やりたいことがやれないという不快が新たに生じるからです。
結局不快が一時的に避けられただけなのです。不快回避は多くの場合、目の前の不快が避けられるだけで、それによって新たな不快が生じることになるのです。
タロウ 分かりました。
先生 例えば、学校でいじめられるから、その不快を避けるために登校しなかったとします。確かに、いじめによる不快は避けられます。
しかし、学校にいかないことによって新たな不快が生じます。それは例えば、学校を卒業できなくなり、それは就職にもひびいてくるなどの不安が生じることです。
また、親に登校しろと言われることも不快の原因となります。さらに、逃げた自分の弱さも不快の原因となります。
タロウ そうしますと、楽をしようと思わない方がいいということですか?
先生 そうです。金を返してくれないと分かっている人に、金を貸す人はいないでしょう。これと同じように、楽をしようとして不快が減らないと分かったなら、楽をしようとしなければいいのです。
タロウ でも先生。楽をしようとするのは本能的なことではないですか?
先生 例えば、一人で暮らしていて、ゴロゴロして楽をしているとしましょう。これでは、飢え死にしてしまいます。
ですから楽をしようとすることは、本能的なことではありません。なぜなら、本能とは生きるための能力であるからです。
タロウ でも先生。不快を乗り越えられるほどのやりたい事があれば、不快を避けないのではないでしょうか?
先生 それはそうでしょうが、やりたい事が見つからないといっている人には、そのような、やりたい事を見つけることはできないでしょう。
タロウ それはなぜですか?
先生 それは、そのようなやりたい事がないから、ということを理由として何もしないでいられるからです。
また、やりたい事を見つけてしまったら楽ができなくなるので、それが見えなくなるからです。
タロウ では、どのようにやりたい仕事を見つければいいのでしょうか?
先生 それはこういうことです。1パーセントでもやりたい仕事があれば、それがやりたい仕事です。
それも無いとすれば、どれをやってもいいということですから、サイコロを振って決めてもいいし、親や先生が勧めることを、やりたい仕事にすればいいでしょう。
タロウ でも、それでは長続きしないのではないでしょうか?
先生 それは、不快を避けようとすれば長続きしないでしょう。しかし、不快を乗り越えようとすれば長く続けられるでしょう。また、そうすれば必ず不快は小さくなります。
タロウ そうなんですか?
先生 このことは、山登りをすれば簡単に実証できます。できたら、山登りをしてみて下さい。最初は大変ですがやればやるほど、それほど大変ではなくなります。
タロウ 分かりました。楽をしようと思わなければいいということですね?
先生 そうです。そうすればやりたいことを見つけることができます。
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